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地域共生活動
入選 さわやかな風をありがとう

武宮千春(大分市)

 今年もまた、うだるような暑さがやってきた。絶え間なく続く蝉の鳴き声、照り付ける太陽――それなのに心に何とも言えないさわやかさを感じるのは、この暑さが昨年の丁度この時期に体験したことを思い出させるからだろうか。
 あの頃、別府市のとある住宅街に住んでいた私は、ひょんなことから近くに住んでいたスリランカ人の学生と友達になった。学生と言ってもその人は30代半ばの家族持ちのお父さんで、妻と1歳になったばかりの息子、そして70歳の自分の父親を連れて来日しており、大学院生として学業に励んでいた。そしてその4人が薄汚く風通しの悪い2DKのアパートにひしめき合って住んでいた。人懐っこい彼らの招きに応じて訪問したが、クーラーがない上に窓を開けてもほとんど風が通らないその部屋は、2台の扇風機を回してもまるでサウナの様だった。昼間は暑すぎて集中できず、彼は夜中に起きて論文を書いていた。
 さらに、来日して間もない彼らにとって、日本語が話せないということはかなりの難題となった。彼らの1歳の息子はよく体調を崩した。初めての子育てで不安が多い上に、その子を病院に連れていっても医者が何を言っているのか分からないと本当に困り果てていた。
 何より、母国スリランカの政情不安はこの家族の心配を煽(あお)った。内戦下での公共機関を狙った相次ぐテロは、祖国に残してきた家族や友人の安全を脅かした。私が彼らの家を訪問する度、インターネットで明らかにされる愛する母国の惨状を深刻な面持ちで見ていた。自然豊かな美しい国が、醜い人の死と共に荒れ果てていくのを見るのは、彼らにとっていかばかりの悲しみだっただろうか。
 このように、決して傍目(はため)には彼らを取り巻く環境は良いものとは言えなかったけれど、彼らは不幸には見えなかった。それどころか、とても明るく生きていた。最初は困っている外国人を助けようという同情心から付き合い出した私は、いつしかそんな気持ちがなくなっているのに気づいた。彼らと交友を深めていくうちに、毎回会うのがどんどん楽しみになってきた。ユーモア溢れる彼らの会話は、数時間を一時に感じさせた。奥さんの作る心尽しのスリランカ家庭料理は、ピリッとスパイスがきいているのに優しく甘い味がした。その料理をみんなで頂きつつ、「うちの奥さんの料理は世界一だ」とニコニコしながら奥さんを誉める彼は、その家族団欒の一時をさらに和かなものにした。あの暑い暑い部屋にうきうきしながら向かう私は、あの家にある幸せに引き寄せられていた。そして、あの家から夕日を見つつ帰るとき、何とも言えないさわやかさを感じつつ満たされた思いになっていたものだ。
 彼らの幸せは、近所に住む他の人達にも伝染した。彼らの1歳の息子は、褐色の肌、こぼれそうな大きな目、そして人見知りを全くしないで気前よく振りまく愛敬の良さを持っていて、近所のおばあちゃん達の一躍人気者となった。昼間、毎日のようにその子はそのおばあちゃん達と遊んでいた。そしてご夫婦も片言の日本語と身ぶり手ぶりで感謝を伝えたり何か話そうとしたりしていた。そしていよいよ、彼らが母国に帰るときがやってきて最後のお別れとなった。あるおばあちゃんは自分がつけていたネックレスを奥さんの首にかけて、「また来てな」と涙ながらに言った。奥さんも泣いていた。私は、言葉が通じないのにここまで仲良くなっていたことに感動して、もらい泣きしてしまった。こうして彼らは、私と周りの人達に5月の風のようなさわやかさを残してスリランカに帰っていった。
 厳しい生活環境、言語の障壁、愛する母国の内戦やテロ――これらはどれも辛い状況だったけれど、彼らは落ち込んでいなかった。状況に負けてなんかいなかった。それどころか、いつも与えられる助けに感謝し、日本の良さに注目し、今あるもので満足していた。いつだってポジティブで、ユーモアを忘れず、他の人を明るくさせた。大切なもの――それは自分が置かれた状況じゃない、前向きに生きようとする心なんだと、この夫婦は私に教えてくれた。
 彼らがスリランカに戻って8ヵ月後の2009年5月19日、ようやくテロの指導者の死亡が確認され、政府が内戦終結を宣言した。あの美しい心を持つ人達を育んだ美しい国スリランカに、一日も早い復興があることを願ってやまない。


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